東の方ではアラバをキンネレテの湖まで占め、またアラバの海すなわち塩の海の東におよび、ベテエシモテの道を経て、南はピスガの山のふもとに達した。
またヨルダンを境として、キンネレテからアラバの海すなわち塩の海まで、アラバをこれに与えて、東の方ピスガのふもとに達せしめた。
ベテペオル、ピスガの山腹、ベテエシモテ、
また北の山地、キンネロテの南のアラバ、平地、西の方のドルの高地におる王たち、
ヨルダンの東側のアラバの全部をかねて、アラバの海に達し、ピスガのふもとに及んだ。
そののち、イエスはガリラヤの海、すなわち、テベリヤ湖の向こう岸へ渡られた。
東の境は塩の海であって、ヨルダンの川口に達する。北の方の境は、ヨルダンの川口の、入海から起り、
その南の境は、塩の海の南の端の、入海から起り、
上から流れくだる水はとどまって、はるか遠くのザレタンのかたわらにある町アダムのあたりで、うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の海の方に流れくだる水は全くせきとめられたので、民はエリコに向かって渡った。
バモテからモアブの野にある谷に行き、荒野を見おろすピスガの頂に着いた。
これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
これら五人の王はみな同盟してシデムの谷、すなわち塩の海に向かって行った。
さて、群衆が神の言を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔に立っておられたが、
ベネハダデはアサ王の言うことを聞き、自分の軍勢の長たちをつかわしてイスラエルの町々を攻め、イヨンとダンとアベル・ベテ・マアカおよびキンネレテの全地と、ナフタリの全地を撃った。
それゆえ、わたしはモアブの境界の町々、すなわち国の栄えであるベテエシモテ、バアルメオン、キリアタイムの横腹を開き、
またその境はアインの東の方で、シパムからリブラに下り、またその境は下ってキンネレテの海の東の斜面に至り、